水には不思議が、いっぱい溶け込んでいます。 [雑学]
どの物質も温度が下がれば容積は、小さくなって密度が増すのに水だけは違うといういう点です。
4度までは、確かに水も容積小さくなり、密度も高くなります。
しかし、それ以下になると逆に容積が増えて密度が低くなる。
これは、氷が水に浮くことからもわかりますが、物質の沸点や凝固点は、分子量に比例して決まるものですが、水はそうでないことも不思議な点です。
普通、物質は温度を1度上げるのに要する熱量が一定しているのに、水の場合、水温が35~40度の時は温まりやすく、熱量がすくなくてすむとという性質もあります。
さらに、金属まで溶かすほどの溶解力を持つこと、酸にもアルカリにもなれる数少ない物質の一つであることも水の特性として挙げられています。
どうして、水がこのような奇妙な性質を持っているかというと、H2O(エイチ・ツー・オー)という分子の構成が、非常に結合力が強い(水素の結合力の強さによります)と同時に不安定であるという、大変に特殊な性格を持つているため、と説明されています。
その結合力の強さを示すのが、表面張力や毛細血管現象に現れます。
水がこうして物質の法則に逆らう性質を持っていることは、考えてみれば、生命にとってあらゆる面で非常に好都合なのです。
冬、池や湖が一面に凍ると水と水面の間に空気層ができています。
これは、凍って軽くなった(密度が下がった)氷が、さらに冷えて体積を増やした為、より安定した位置を求めてせり上がるように持ち上がった事によります。
この空気層は、池や湖に棲む生物にとって、優れた断熱効果をもたらし、水中の生物が冬でも生き延びるのはまさにそのおかげです。沸点、凝固点マイナス90度とマイナス100度であったら、生命の体内も含めて、この空気中には液体の水は存在できなくなり、生物自体がありえなくなります。
35度から40度の間が暖まりやすいということは、内温性の動物(恒温動物)の体温がほとんどこの範囲である事と、大きな関係にあります。
これによって、活動に必要なカロリーの効率を高めて、環境適用力をもたらしているのです。
水が強い溶解力を持ち、化学反応に対しても不活性な物質ではないという性質を持つことは、水が栄養分の重要な媒体であると言うこと考えれば納得できます。
血液や液体も、水にこの性質がなければ存在し得ないわけです。
大地に潤いを与えているのも、水に毛細管現象があるからです。
もちろん私たちの体内でも、毛細管現象は重要な働きをしています。
このようにみると、水があったから生命が生まれたのか、生命のために水が作られたのか、わからなくなってきますね。
お寺と神社では厄年のとらえ方は違います。 [雑学]
厄除けの由来も本来、江戸時代ごろから始まって、女性の33歳の厄は33が「散々」に通ずるものだから男性の42歳の厄は、「死に」通ずる言葉だからとの事で、語呂合わせ的な物から発生しているらしいです。
厄介者などといわれるのは、厄を運んで来る者に通ずることばである。
役者の西田敏行さんも、厄除けをすると、役が付かないと言うことで、厄除けをしなかったと説明されていましたが、本来厄年には、何の根拠もありません。
但し、女性の33歳、男性の42歳ぐらいというのは、家庭的にも社会的にも、肉体的、精神的負担がかかって、ぐっと重荷がかかってくる年齢だという点です。
また、昔は言葉は、言霊があると信じていましたので、この様に厄年などがあったのでしょう。
厄年になると厄除けや、厄払いを受けることを考える人が多いと思いますが、この祈祷は神社でもお寺でもやってもらえます。
その際の名称は、神社の場合は厄払い、お寺の場合は厄除けと言われます。
神社の厄払いは、厄を追っ払うイメージらしいです。
厄を近づけないように、神仏に守ってもらうというもの。魔除けのお守りも、同様の考えです。
お寺の厄除けは、人が生活する中で、厄や罪・穢れなどのマイナス要因が知らず知らずにつみかさなるのを厄年などに厄除け・厄払いをして、祓い清め厄年を無事に過ごせるようにすることです。
(マイナスをプラスにするイメージ)
やはり、いくら迷信的なことでも、本厄の歳だからと皆からいわれると、祈祷してもらつたほうが
気持にもゆとりができますから、私も、本厄の42歳の時、日本三大厄神のひとつの門戸厄神東光寺(兵庫県西宮市)に厄除けの祈祷をしてもらいに行きました。
厄神(やくじん)さんは、厄神と神が付くから神社と思いますが、東光寺というお寺ですよ。
平成27年度の厄年早見表です。
2015年(平成27年)の男性の厄年 ※()内の年齢は数え年での年齢です。
西暦 |
年号 |
前厄 |
本厄 |
後厄 |
2015年 |
平成27年 |
1992年 |
1991年 |
1990年 |
1975年 |
1974年 |
1973年 |
||
1956年 |
1955年 |
1954年 |
2015年(平成27年)の女性の厄年 ※()内の年齢は数え年での年齢です。
西暦 |
年号 |
前厄 |
本厄 |
後厄 |
2015年 |
平成27年 |
1998年 |
1997年 |
1996年 |
1984年 |
1983年 |
1982年 |
||
1980年 |
1982年 |
1978年 |
||
1956年 |
1955年 |
1954年 |
ペットボトル飲料の飲み残しは感染症の要因になります。 [雑学]
感染症とは、ウイルスや雑菌などの病原体が体内に侵入して増殖することによって発熱や下痢、咳などの症状が出ることを言います。
普通、私たちの口の中にある雑菌は、体の中に入っても殆ど害は、ないのですが、いったん飲み物などに移って増殖したものは、感染症を引き起こす危険を伴います。
健康な人なら、免疫力が高いので神経質になることはありませんが、病気の時や子供など体力のない人ほど感染力のリスクが高まり注意が必要です。
これから、暖かくなり外出時にペットボトルを持ち歩く方もおられると思いますが、子供たちの場合は出来るだけ、ペットボトルで持ち歩くなら、飲むときに、コップなどに注いで飲むのがよいでしょう。
特に夏場などは雑菌の繁殖も進みやすいので、保冷材などを利用して、できるだけ低温に保つよう心掛けましょう。
ところで、ペットボトルの飲料水の種類には色々の物がありますが、牛乳の紙パックは販売されていても、ペットボトル入りの牛乳は今の処、市場にはありませんね。
これは国の認可が下りていないから、製造していないのかなと思いましたが、ペット容器入り牛乳の販売は、平成19年10月から、厚生労働省が、ペットボトルの使用を認めていました。
しかし、どのメーカーも認可の申請をしていないそうです。
これには、先ほどの雑菌の問題がかかわっていました。
牛乳は雑菌が繁殖しやすいので、ペットボトルに直接口をつけて飲んだものを持ち歩けば、すぐに悪くなってしまいます。
又、常温では持ち歩くことができない。
新たな、設備投資や紙容器より高いペットボトルのコストアップの問題もあるようです。
そのため、商品化する場合は、飲みきりサイズかファミリー用の大きなサイズになるのではないか、といわれています。
これらの理由で、今現在は、ペットボトル入りの牛乳は販売されていませんが、これらの問題が解決されれば、将来的にはペットボトル入り牛乳が、普通の時代になっているかもしれませんね
数字の単位は?十・百・千・万・億・兆・京・最後まで知っていますか? [雑学]
この本は、当時の数学知識の集大成というべきもので、命数法(数の単位の分類)の説明がみられます。
命数法(めいすうほう)とは、数詞を用いて数を表す命数(めいすう)の方法であり、言語により異なっています。
例えば 10000 を、日本語では「一万」と呼びます。
物や事象を数えるのに 単位を用いますが、どれくらいのところまでカバーされているのでしょうか、以下
がその位取りと単位です。
数の単位 (大きい単位)
一 いち 0乗 one 1
十 じゅう 1乗 da デカ ten 10 ※デカは、ギリシャ語の十
百 ひゃく 2乗 h ヘクト hundred 100 ※ヘクトは、ギリシャ語の百
千 せん 3乗 k キロ thousand 1000 ※キロは、ギリシャ語の千
万 まん 4乗 10000
6乗 M メガ million 1000000 ※メガは、ギリシャ語の「大きい」
億 おく 8乗 100000000
9乗 G ギガ billion 1000000000 ※ギガは、ギリシャ語の「巨人」
兆 ちょう 12乗 T テラ trillion 1000000000000 ※テラは、ギリシャ語の「怪物」
15乗 P ペタ 1000000000000000 ※ペタは、ギリシャ語の五(1000の5乗)
京 けい 16乗 10000000000000000
18乗 E エクサ 1000000000000000000 ※エクサは、ギリシャ語の六(1000の6乗)
※ドイツ、フランスでは、18乗がtrillion
垓 がい 20乗 100000000000000000000
21乗 Z ゼタ 1000000000000000000000
ジョ じょ 24乗 Y ヨタ 1000000000000000000000000
※禾に予という字
穣 じょう 28乗 10000000000000000000000000000
溝 こう 32乗 100000000000000000000000000000000
澗 かん 36乗 1000000000000000000000000000000000000
正 せい 40乗 10000000000000000000000000000000000000000
載 さい 44乗 100000000000000000000000000000000000000000000
極 ごく 48乗 1000000000000000000000000000000000000000000000000
恒河沙 ごうがしゃ 52乗 10000000000000000000000000000000000000000000000000000
※「恒河沙」は、ガンジス川の砂(の数)という意味。
阿僧祗 あそうぎ 56乗 100000000000000000000000000000000000000000000000000000000
※「阿僧祇」は、数えられないこと。
那由他 なゆた 60乗 1000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
※「那由多」と書くこともあり。
不可思議 ふかしぎ 64乗 10000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
※「不可思議」は、常識では理解できない不思議なこと。
無量大数 むりょうたいすう 68乗
100000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
今使われている単位は、コンピューターのハードディスクの大容量化で、メガ・ギガぐらいまでは一般的に知られ使われるようになりましたね。
しかし人間の頭の中では、もっと大きな数も描けるものですね。
それは、華厳経の巻第四十五、阿僧祇品第三十には、上記の命数法とは異なる命数が記述されています。
もっとも、これらは実用のものではなく、計算もできないほど大きな数を示して悟りの功徳の大きさを表したものです。
人間の頭で考えられた中で一番大きな数字は何かというと、「数学的証明に使われた意味のある世界最大の数」としてギネスブックにも掲載されている数字、「グラハム数」というものらしいです。
らしいというのは、今、頭の中で想像しうる最大の数よりきっと何兆倍も大きく想像しにくいからです。
この数を書こうと宇宙にあるすべての物質を紙とインクにしたとしても書ききれないほど大きく、
(宇宙に存在する素粒子の数と比較にならない巨大さ)
何かに例えようとしても、何にも例えられないもの。
それが「グラハム数」ということです。
ちなみにこのグラハム数が考え出されたのは、
「n次元超立方体の2n個の頂点のそれぞれをお互いに全て線で結ぶ。次に2色の色を用いて連結した
線をいずれかの色に塗り分ける。
このときnが充分大きければ、どんな塗り方をしても、同一平面上にある四点でそれらを結ぶ線が全て
同一の色であるものが存在する」 という定理の証明のために考え出されたとの事です。
でもこれで「グラハム数より1大きい数」とかもあるわけですから
(上の定理はグラハム数より大きなnのときに成立する)、数学は奥が深いです。
東京書籍の「数の事典」によると
3の3乗を3↑3と表記する。 3↑3=27
3↑↑3=3↑(3↑3)=3↑27=3の27乗
3↑↑↑3=3↑↑(3↑↑3)=3↑(3↑3の27乗)
つまり矢印3個でもう、とんでもない大きな数になる(3の10兆乗の10兆乗くらいか?
さらに3↑↑↑↑3なんて、もう宇宙にあるものすべてを使っても○の○乗という表記 すら出来ないくらい大きな数字。
次はその数(3↑↑↑↑3)だけの矢印が3の間に挟まった数、次はその数だけ3の間に
矢印が挟まった数‥‥‥と繰り返していって63段階目にグラハム数に到達できるそうです。
この様な事をずっと考えていたら、ノイローゼになりそうですね。
デジタルカメラの画素数は、高いほど写真がきれいにうつるのか。? [雑学]
まず、撮影した写真をどうやって見るかによっても変わります。
デジカメの写真を見る確認としては、デジカメ本体についている液晶画面でみる。
パソコンのディスプレイでみる。
そして、印刷して見るかのどれかです。
パソコンのディスプレイでみる場合は、結論から言えば80万画素もあれば十分です。
デジカメが発売された当初の35万画素のデジカメでも、パソコン画面で見た時は、随分きれいにデジタルカメラで 写るんだなあと思いました。
一般にパソコンのディスプレイの解像度は、15インチで1024×768,17インチや19インチで1280×1024に設定さ れている。画面の点の数です。
15インチの解像度を画素数にすると、80万画素程度になります。
どう頑張ってもディスプレイの解像度以上にきれいに見られません。
では、印刷した場合はどうかと言うと、家庭用プリンターでA4サイズをプリントする場合、300万画素とか40 0万画素では、殆ど変わりません。
画質で選ぶなら画素数より撮像素子の大きさを見るべきで、イメージセンサー(CMOS/CCD)のサイズが重要なのです。
カタログをチェックしてみると!
その CCD ですが、デジタルカメラのカタログのスペック表には「1/3インチ CCD 」「1/1.8インチCCD」などと記されています。
これはデジタルカメラに搭載されている CCD のサイズのことで、同じ画素数なら大きなサイズの CCD のほうがたく さんの光を受けることが可能で、色の階調が豊かに再現されることになります。
現実的には、レンズなども画質を左右する要因になるので一概にはいえませんが、基本的には同じ 700 万画素なら 1/2.5 インチ CCD よりも 1/1.8 インチ CCD の方がサイズが大きいので、高画質な撮影が可能なのです。
最近販売されているデジタルカメラは、そのほとんどが、1000万画素以上で、スペック的には十分だと言えます。
デジタルカメラは、画素数で選ぶのではなく、自分に合った使い勝手やデザインで選ぶ時代になったと言えるのではないでしょうか。
今や、フイルムカメラで写した時代の写真の質感が懐かしいですね。